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2026/06/18 17:56
【種一揆】 第二十二話 「9割の失われたコメ」
日本の風景を象徴する水田。そこで育まれてきたイネの歴史は、単なる食糧生産の歩みではなく、名もなき農家たちが何千年もかけて積み上げてきた「知恵の結晶」そのものです。
しかし、私たちが現在食べているお米の背後で、かつて存在した膨大な多様性が失われてきた事実を、私たちはどれほど自覚しているのでしょうか。今回は、在来種の辿った歴史と、今改めて注目されるその価値について紐解いていきます。
「無限」に近かった品種の数とその役割
日本列島で稲作が始まって以来、3000年以上の歴史の中で、品種づくりはもっぱら農民自身の手で行われてきました。
かつての農家は、自らの田んぼでひときわ輝く穂を見つけては抜き取り、翌年の種にする「抜き穂選抜」を繰り返し、その土地の風土や気候に最適な品種を独自に作り上げてきたのです。
江戸時代の記録を紐解くと、驚くべき多様性が浮かび上がります。例えば、尾張国(愛知県)の産物帳には407品種、加賀国(石川県)では208品種の名が記されています。
明治時代に入り、近代的な統計が取られ始めた頃には、全国で4,000を超える品種が記録されていました。これらは、冷害、干害、病害虫といった厳しい自然環境に対する、農家たちの切実な「生存戦略」の結果でした。
近代化の代償として失われた3,800の個性
しかし、明治中期以降、農業の近代化と共にこの多様性は急激に失われていきます。生産効率の向上と品質の統一が優先され、少数の「優秀な」品種への集約が進められました。その過程で、かつての4,000品種は統計上わずか150品種にまで激減し、3,800以上の個性が姿を消したのです。
象徴的なのは「赤米」の歴史です。かつては貴重な食糧であり、神事にも欠かせなかった赤米ですが、明治時代には「白米に混じると品質を下げる悪者」として根絶運動が進められ、雑草扱いされて排除されてきました。
現在、日本の田んぼの約3分の1を「コシヒカリ」が占め、残りの3分の1もその子孫品種(ひとめぼれ、ヒノヒカリ、あきたこまち等)が占めています。この極端な遺伝的一質化は、予期せぬ病害虫の発生や急激な気候変動に対して、日本のコメ生産が極めて脆弱になっていることを意味しています。
現代品種の源流となった「在来種の力」
私たちが今食べている美味しいお米も、実はこれら在来種の優れた遺伝子によって支えられています。現代の主力品種の系譜を遡ると、明治時代に農家が選抜した「亀ノ尾」「神力」「愛国」「旭」という四大祖先に辿り着きます。
例えば、山形県の阿部亀治氏が冷害の被害田で見つけた3本の穂から育て上げた「亀ノ尾」は、その優れた耐冷性と食味がコシヒカリやササニシキへと受け継がれました。また、熊本の在来種「穂増(ほませ)」は、江戸時代に大阪の堂島米会所で「天下第一」と称された名品でしたが、近年、わずか40粒の種籾から復活を遂げ、その独特の風味と香りが再評価されています。
在来種を食べるということの現代的意義
今、なぜ在来種や昔ながらの品種の米を食べるメリットがあるのでしょうか。それは、ただの「懐古主義」ではありません。
まずは、機能性成分の豊富さです。赤米にはタンニン、黒米にはアントシアニンといったポリフェノールが豊富に含まれ、高い抗酸化活性を持っています。研究では、血糖値の上昇を抑制する効果や、食中毒の原因となる黄色ブドウ球菌の増殖を抑える静菌作用も報告されています。
さらに、食の安全保障としての「遺伝資源」の維持です。在来種は、現代の改良品種が失ってしまった「病害虫への抵抗性」や「環境適応能力」を保持しています。例えば、水没しても背を伸ばして生き延びる「浮きイネ」の能力なども、野生イネや在来種が持つ特殊な遺伝子(SD1変異体など)に由来することが分かっています。
未来への種を繋ぐために
農研機構(NARO)は、これら貴重な在来品種280品種に関する情報を写真と共にデータベース化し、2024年から公開を始めました。系譜検索システムでは、1万品種もの交配データから在来品種まで遡ることができます。
消費者が在来種を選び、口にすることは、地域の歴史や食文化を守るだけでなく、未来の異常気象に対応するための「生きた遺伝資源」をフィールドで維持・保全することに直結します。
一粒の米には、数千年の歴史と、未来を救う可能性が詰まっています。日々の食卓に多様性を取り入れること。それが、私たちができる最も身近で強力な「未来への投資」なのです。
<参考文献>
農研機構「イネ品種特性データベースとその検索システム」
農研機構「プレスリリース 日本初の在来品種データベース公開」
西尾敏彦「水稲『在来品種』考」(日本農業研究所研究報告 第32号)
佐藤洋一郎「植物のドメスティケーション:イネにおける栽培と栽培化」(国立民族学博物館調査報告 84)
公益財団法人日本特産農作物種苗協会「特産種苗 第39号:特集〈赤米・黒米等の生産・供給〉」
大和田興・川手督也「農業における生物多様性の保全と自家採種の役割」(日本大学 食品経済研究 第37号)
名古屋大学 プレスリリース「『浮きイネ』の仕組みと起源を解明!」
Wikipedia「在来品種」「神力」「穂増」
