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2026/01/21 19:00
【種一揆】 第十九話 「商売と文化」
商売と文化は、相反するもののように語られることがあります。
文化を守ろうとすると、儲からない。商売を優先すると、文化は失われる。
そんな二項対立の中で、私たちは長い間、どちらかを選ばなければならないと考えてきたのかもしれません。
商売は「続けるための仕組み」
「いちたね」は米屋です。文化活動団体ではありません。
米を売り、対価をいただき、商いとして成り立たせています。
それは、文化を語る前提として、続ける必要があるからです。
どれだけ正しいことを言っていても、どれだけ残す価値があるものでも、続かなければ意味がありません。
商売とは、利益を出すことそのものよりも、続けるための仕組みだと考えています。
文化は「結果として残るもの」
文化は、守ろうとして残るものではありません。
日々の生活の中で、選ばれ、使われ、続けられた結果として、後から「文化」と呼ばれるものです。
米も同じです。
毎日食べる。無理なく作れる。その土地の気候に合っている。
そうした理由の積み重ねが、品種を残し、食べ方を残し、結果として文化を形づくってきました。
効率だけでは残らないもの
現代の商売は、効率を重ねることで大きくなってきました。
大量に作り、均一に揃え、早く回す。その仕組み自体を否定するつもりはありません。
ただ、効率を重ねるほど、説明しづらいものは切り落とされていきます。
土地の違い。作り手の判断。なぜその種を残してきたのかという背景。
数字にしにくいものほど、商売の場から姿を消していきます。
それでも「売る」という選択
「いちたね」がしているのは、残したいものを展示することではありません。
売ることです。値段をつけ、流通に乗せ、誰かの食卓に届ける。
それは、文化を語るよりも、ずっと厳しい行為です。
「必要とされなければ、残らない」その現実を引き受けることでもあります。
商売が文化を支える瞬間
原種・在来種に近い米は、決して扱いやすくありません。
収量は少なく、手間がかかり、価格も安くはできません。
それでも、誰かが買い、食べ、また次も選んでくれる。
その循環が生まれたとき、文化は初めて現代の生活の中に居場所を持ちます。
守られている文化ではなく、使われている文化。
商売は、文化を現実の中に引き戻す役割を担っているのだと思います。
何を売るかは、何を信じるか
商売には、無数の選択肢があります。
もっと売れるもの。もっと分かりやすいもの。もっと効率の良いもの。
それでも私たちは、そうではない米を選んでいます。
それは、利益より理念を優先しているという話ではありません。
どんな価値観で商売をするのかという問いに対する答えです。
商売は、文化への意思表示
いちたねにとって商売とは、文化について語ることではなく、文化に対して意思表示をすることです。
この米を売る。
この米は売らない。
その一つ一つが、どんな未来を望んでいるのかを静かに示しています。
100年先に、どんな食卓が残っていてほしいのか。
その問いに対して、私たちは今日も、米を売るという形で答えています。
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