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2026/01/07 19:00
【種一揆】 第十八話 「扱わない米の話」
米屋であれば、「どんな米を扱っているのか」を聞かれることはよくあります。
一方で、「どんな米を扱っていないのか」を聞かれることは、ほとんどありません。
けれど私たちは、何を売るか以上に、何を売らないかが重要だと考えています。
たくさん穫れる米が悪いわけではありません
世の中には、収量が多く、作りやすく、安定している米がたくさんあります。
それらは、日本の食を支えてきた側面もあり、否定されるべき存在ではありません。
農家の方が生活を成り立たせるために、そうした品種や栽培方法を選んできた事情も理解しています。
ですから、「多く穫れる米が悪い」と言いたいわけではありません。
ただ、「いちたね」の基準ではない
いちたねでは、あえて扱わない米があります。
それは、・収量を最優先に考えられてきたもの・効率を高めるために改良が重ねられてきたもの・栽培や流通の都合が味や背景よりも優先されてきたもの、こうした米です。
良し悪しの問題ではありません。ただ、私たちの基準ではないというだけです。
判断の積み重ねとしての「米」
米は、自然にそこにあるものではありません。
どの種を残すのか。どんな栽培をするのか。どの土地で、どんな管理をするのか。
そのすべてが、人の判断の積み重ねによって成り立っています。
かつて日本では、「米をお腹いっぱい食べたい」という切実な願いがありました。
その思いが、肥料を与えれば与えただけ収穫量が増える米、より多く穫れる米を選ぶ方向へと人々の判断を導いてきた背景があります。
効率を重ねることで、確かに、たくさん穫れるようになりました。
けれど同時に、味の個性や、土地ごとの違い、そして「なぜこの米を作り続けているのか」という理由が少しずつ見えにくくなっていきました。
原種・在来種に近い米を扱う理由
いちたねで扱っているのは、原種・在来種に近い米、あるいはそれらを大切に守りながら作られている米です。
それらは、決して効率的ではありません。収量も少なく、手間もかかり、流通にも向いていません。
それでも残ってきたのは、その土地で、その人たちにとって必要だったからです。
残す理由があり、守る意味があった。その積み重ねの上に、今の一粒一粒があります。
「売らない」という選択
商売として考えれば、もっと扱いやすい米はあります。価格を下げることもでき、量も安定します。
それでも、私たちは扱いません。
それは、選ばなかったからではなく、選び続けた結果です。
何を売るか。何を届けるか。
その前に、どんな判断をした米なのかを大切にしたいと考えています。
米屋の役割とは何か
米屋は、ただ米を並べる仕事ではありません。
どんな基準で選び、どんな価値観を伝えるのか。その姿勢そのものが、米屋の役割だと思っています。
「この米はおいしいです」と言うよりも、「なぜこの米を扱っているのか」をきちんと語れること。
それが、これからの時代の米屋に求められることではないでしょうか。
扱わない米の先にあるもの
いちたねには、あえて扱わない米があります。
けれどそれは、拒絶ではありません。私たちが選んだ基準を、はっきりさせるための選択です。
何を残したいのか。100年先に、どんな食卓があってほしいのか。
その問いに向き合った結果が、「扱わない米」という答えでした。
これからも私たちは、売れるかどうかではなく、残していきたかで米を選び続けていきます。
▼普通の米屋が「扱わない」米はこちら
