BLOG

2026/01/01 15:36

【種一揆】 第十七話 「年始に食べたいごはん」

年のはじめに、何を食べるか。それは意外と、その人の価値観が表れる問いだと思います。
ごちそうでしょうか。新しいものでしょうか。それとも、特別な意味を持つ一膳でしょうか。私たちは年始こそ、派手ではない、昔ながらの食事を食べたいと考えています。

津軽の冬と「けの汁」

鍋いっぱいの「けの汁」

青森・津軽地方に「けの汁」という郷土料理があります。
大根、人参、ごぼう、豆、山菜など、乾物や保存食を細かく刻み、味噌で仕立てた具だくさんの汁物です。なので、味は具沢山の味噌汁です。

もともとは、正月に家族の世話や来客対応に追われた嫁が小正月に里帰りする際、男衆のためにつくりおきしたものでした。栄養豊富な保存食として、凍りついた汁を崩し温めなおして何日も食べたといいます。

雪に閉ざされ、新しいものが簡単に手に入らない土地で、どうやって冬を越すのか。どうやって身体を保つのか。

けの汁は、その問いに対する津軽の人たちなりの答えだったのだと思います。

「新しい」より「積み重なった」もの

現代の正月は、華やかで、選択肢も豊富です。
その一方で、どこで、誰が、どんな判断で作ったものなのか分からない食事も増えました。たとえば、おせちの中身がほぼ外国産で作られているものも見かけます。

私たちは、年始にこそ考えたいと思います。
この一膳は、どんな土地で、どんな気候の中で、どんな人たちの選択の積み重ねによってここにあるのか。

けの汁のような料理は、現代では決して誰もが欲しがる選択肢ではありません。出汁を取り、たくさんの具材を切るなどの下処理に時間がかかり、手間もかかります。

それでも残ってきたのは、必要とされてきたからです。

米は、料理の中心ではなく「土台」

昔々、米が貴重だった時代に刻んだ具材を米に見立てて食べたという「けの汁」は、現代では主役になる料理ではありません。
あくまで、ごはんがあり、その横にある存在です。

しかし、こうした汁物があることで、米は最後まで無理なく、おいしく食べられます。
津軽の山菜や根菜を温かい汁物として食べる時、同時に米が大切にされる。
この関係性は、今の食卓では少し失われつつあるように感じます。

年始は「考える月」

いちたねでは、派手な提案はしていません。新しい商品よりも、考え方を伝えたいと考えています。
年始は、何かを始める月であると同時に、何を残すのかを考える月でもあります。

津軽のけの汁のように、名前も知られていない料理。効率では説明できない食事。
そうしたものが、今も静かに食べ継がれている理由を、私たちはもう一度考えてもよいのではないでしょうか。

つなぐ一膳

超加工品や輸入食品で作られた、華やかでおしゃれな料理も魅力的です。
選択肢が多いこと自体は、決して悪いことではありません。

けれど一方で、ごはんと汁物、そしておかずが一品。
そうした基本的な和食の形が、本来、私たちの体を無理なく整えてきたことも忘れてはいけないと思います。

けの汁のような汁物は、不足しがちな栄養を補い、体を温め、米を最後までおいしく食べるための存在です。

足りないものを足し続けるのではなく、すでに足りていることに気づく。
年始の食卓には、そんな「足るを知る感覚」がよく似合います。

米を中心に、汁物と少しのおかずを添える。それだけで、体も気持ちも自然と整っていきます。
年始に食べたいごはんとは、豪華な一膳ではなく、これからも続けていける一膳なのかもしれません。

私たちは、お米を中心とした食生活を、静かに、もう一度取り戻していきたいと考えています。

▼和食に合う万能なおすすめ品種はこちら