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2025/11/11 13:00

【種一揆】 第十六話 「新嘗祭」

毎年11月23日、勤労感謝の日として祝日となるこの日は、実は古くは「新嘗祭」という、稲作を担う人々、そしてその恵みに感謝を捧げる儀式の日でした。

私たち「いちたね」は、地域の原種・在来種に近い昔ながらのお米を扱いながら、「お米とは何か」「種とは何か」を問い続けてきました。
そして、新嘗祭はまさにその問いに立ち返るよい機会なのです。

1.新嘗祭の起源と意味

1-1 起源・歴史
新嘗祭(にいなめさい)は、日本の稲作文化の起源とともに生まれた、最も古い収穫祭の一つです。
その記録は「日本書紀」にも見られ、舒明天皇11年(639年)に「新嘗(にいなめ)」が行われたと記されています。
古代では、天皇自らがその年の新しい穀物=新穀(しんこく)を神々に供え、そして自らも食することで、自然の恵みと国家の安寧を祈りました。

この祭りの日は、旧暦の「卯の日(うのひ)」 に定められていました。
「卯の日」とは、古代日本で使われていた十二支による日付の表し方の一つです。
現代のカレンダーの「11月○日」といった日付ではなく、
「子(ね)→丑(うし)→寅(とら)→卯(う)…」という十二支の順番で12日ごとに巡ってくる日を指します。
つまり、「卯の日」とは“季節のめぐりを告げる日”でもありました。

律令制の時代になると、『延喜式』や『養老令』の「神祇令」仲冬条に、
「仲冬(旧暦11月)の上卯(かみのう)の日に相嘗祭(あいなめのまつり)、下卯(しものう)の日に大嘗祭(おおにえのまつり)を行う」
と記されています。

大嘗祭(だいじょうさい・おおにえのまつり): 天皇が即位の後に初めて行う新嘗祭のことで、特別に執り行われます。

「上卯」はその月の最初の卯の日、「下卯」は次の卯の日を指します。
このように、暦と農耕、そして祭祀が密接に結びついていたことが分かります。

1-2 近代以降の展開
明治以降、西洋暦(太陽暦)が導入されると、新嘗祭は毎年11月23日に固定されました。

戦前は「国家祭祀」として天皇が行う重要な儀礼でしたが、戦後は宗教的色合いを和らげ、「勤労感謝の日」として国民の祝日に制定されています。

それでも、宮中では今も変わらず、天皇陛下がその年の新穀を神々に供え、自らも口にする「新嘗祭」が厳かに執り行われています。

1-3 儀礼と意味:なぜ「新穀」を供え、食すのか

新嘗祭では、その年にとれた「新穀(しんこく)」、すなわち新しいお米を神前に供え、天皇がそれを自身でも食すという「共食(ともじき)」の儀式が含まれています。

この「共食」という考え方は、「神と人が同じ食を分かち合う」ことで、自然の恵みへの感謝と来年への祈りを表す儀式です。稲作を中心とする日本文化において、「食べる」という行為そのものが「感謝」と「誓い」を意味していたのです。

また、単に“収穫に感謝する”というだけでなく、「稲=生命と恵みの象徴」とされる稲作文化の根底にある、天地自然・祖先・人々をつなぐ営みそのものを祝うものでもあります。

儀式の一環としてお酒(神酒・御神酒)も重要な役割を果たし、米作りとともに醸すという文化も深く関わりがあります。

1-4 お米文化としての位置づけ
このように新嘗祭は、単なる収穫の喜びを超えた“命の循環の儀礼”でした。
その年の稲の実りを神々に感謝し、自然と人とのつながりを再確認する。
古代人にとってそれは、「新しい年を迎えるための心の準備」でもあったのです。

現代の私たちにとっても、新米をいただくという行為の背後には、「自然の恵みを受け取る」「次の季節へ祈る」という精神が息づいています。
新嘗祭は、その心を今に伝える“日本の稲作文化の根っこ”なのです。

2.暮らしの中に残る新嘗の慣習

古代のように、家々で新嘗祭を行う習慣は少なくなりましたが、「新米を炊いて、神棚に供え、家族でいただく」という形で、今も多くの地域にその名残が見られます。
それは、「いただく」ことを通して、自然と人のつながりを感じる日本人の原風景です。

田の神が山から里へ降り、春に田を見守り、秋に山へ帰る
――そんな信仰の中で、稲作は祈りとともにありました。
稲は単なる食糧ではなく、命そのものを象徴する作物だったのです。

いま私たちが食卓で手を合わせる「いただきます」「ごちそうさま」という言葉にも、この感謝の精神が受け継がれています。
「いただく」とは、自然の命を自分の命に変えるという行為。
その一膳のごはんに、天と地と人の営みが宿っている――そう考えると、新嘗祭の意味がぐっと身近に感じられます。

3.「いちたね」と新嘗祭

原種・在来種米を扱う私たち「いちたね」にとっても、新嘗祭は特別な日です。
なぜなら、この儀礼が語る「自然と人との関係」「命をつなぐ営み」こそが、在来種の米づくりの思想と重なるからです。

在来種とは、その土地で長く育まれ、人の手と風土の中で生き残ってきた稲です。
品種改良のスピードが加速する中でも、地域の記憶を宿した種を守り続けることは、文化そのものを受け継ぐ行為です。

「新嘗」とは、まさに“新しい穀物を嘗める(なめる)”と書きます。
つまり、「味わう」こと。

その年の天候や土の記憶を舌で確かめる
――それが新嘗の原点です。

私たちは、種が受け継がれ、つくり繋がれてきた昔ながらのお米を通して、まさにその“年ごとの味わい”をお届けしたいと思っています。

4.祈りの循環

稲作は、一年で終わるものではありません。
秋に刈り取られた稲の一部は、翌年の種として残されます。
その繰り返しの中にこそ、命の循環があり、人の暮らしの節目があります。

新嘗祭は、収穫の終わりであり、同時に次の種まきへの始まりでもありました。この「終わりと始まりがひとつの円のようにつながる」感覚は、日本文化の根底に流れる考え方だと思います。

いちたねの活動も、この循環の一部でありたいと願っています。
食べる人が「このお米はどんな土地で生まれたのだろう」と思いを寄せるとき、その祈りは確かに次の田んぼへと伝わっていくと信じています。

おわりに

宮内庁のホームページでも主要祭儀一覧のなかに新嘗祭が登場します。
そこには、下記のように内容説明が掲載されています。

天皇陛下が、神嘉殿において新穀を皇祖はじめ神々にお供えになって、神恩を感謝された後、陛下自らもお召し上がりになる祭典。
宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。天皇陛下自らご栽培になった新穀もお供えになる。
引用:https://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi01.html

「宮中恒例祭典の中の最も重要なもの。」という一文からも、日本人にとって稲は、単なる作物ではなく「生命と恵みの象徴」として大切にされてきたことがわかります。

いま、米価の高騰や食の多様化の中で、国産米の存在をあらためて見つめ直す時期に来ているのかもしれません。
どんな時代でも、田んぼの風景と新米を喜ぶ米文化が、私たちの暮らしの真ん中にあり続けるように。
そんな願いを込めて、今年の新嘗祭を迎えたいと思います。